今帰仁城跡

誰が造ったのか、いまだに解っていない今帰仁城跡

沖縄のお城と言うと「首里城」が非常に有名。
しかし、実は首里城以外にも「今帰仁城」というお城があったことが解っています。
このお城は沖縄本島の北に存在し、ここはかつて「北山」と呼ばれていた場所でした。
他に、中山、南山があり、それぞれを王が統治していたと言います。
北山は中国と貿易をしていたことは解っていますが、1416年に中山に滅ぼされてしまい、この城は役目を終えたと言われています。
ここまで、ある程度歴史は解っているものの、この今帰仁城を建設したのが誰なのかはいまだに解っていません。
解っているのは、この城の本来の目的は1416年に終わっており、その後は中山によって監守として利用されたこと、そして薩摩軍にそれが滅ぼされたこと、そのあとは「御獄」となったことだけです。

結構大がかりな城である

「城跡」というと、もしかしてあまり何も残っていないのでは?と思われがちですが、今帰仁城跡はわりと大がかりな規模で残っているみたいですね。
まず、今帰仁城跡の最上位にあるのが「主郭」。
建物は残っていませんが、位置と大きさ的にここにメインの建物が残っていたことが解ります。
発掘調査も一時期行われて完了し、現在はきちんと整備されているそう。
ただ、今帰仁城に関してはまだまだ解らないことがたくさんありますので、今後の調査でそれが明かされることを願います。
そして、そこから下に下ると「御内原」→「大庭」となり、そこから「七五三の階段」が続きます。
この七五三の階段の両端には桜が植えられました。
今は「戦災文化財」として残されており、階段の整備も行われています。
さらに、大隅→カーザフ→平郎門→外郭が一番下ですね。

沖縄に城跡があるなんて、なんだか不思議な気もしますが、これも沖縄の歴胃の一部として欠かすことができないものになりますので、機会があったらぜひみにいきたいものです。
このように、意外なものがあるのも沖縄の魅力ですので、島の中をくまなく見ることができるようにしてみて下さいね。
沖縄がこうまで愛されているのは、本当に意外な色々な魅力があるからです。
「えっ」こんなところもあったの?」と思えてしまうようなところもあるから、そこを多くの人が求めて訪れるのでしょう。
ぜひ、多くの人にこの今帰仁城跡を訪れ、沖縄の歴史について思いをはせてみてほしいと思います。
きっと、いい気づきを得ることができるのではないかと思いますよ。